日系ブロガーのススメ。

日本人だけど英語ブロガーなNinja Girlsです。あなたも日系ブロガーはじめませんか?

シンガポールで一番有名な日本人の目指し方【125】満月

「次はツバキの番だよ!」
先に海に飛び込んでいたキウイが、大声でそう叫んだ。

よし、あたしの番だ!
海に飛び込むポイントに移動するために立ち上がろうとするも、

「重っ!!」


背負っている機材が重すぎて、全然立てないんだよね。

まるで産まれたての子鹿のようにフラフラしながらなんとか移動する。
目の前には海!

怖い!

てかあんまり泳ぎ得意じゃない!

え、いまさらなにいってんのあたし!

しょうがい、やるしかない!えーい!


意を決して飛び込む。

ドッボーン!!!


☆★☆


......げほっ。



飛び込んだ時に勢いあまって少し水を飲んでしまった。

げほげほしながらも呼吸を整えて、なんとかみんなのいる方に向って泳ぐ。



「みんないいかい。リラックスして〜。大丈夫、僕がついているからね。さぁ、ゆっくり沈むよ〜。3, 2, 1!!!」

ライムの掛け声で一斉にBCDの空気を抜く。徐々に私の体は海の中へと沈んで行った。


それはもう言葉では言い表せないような感動だった。

あたりまえだけど、見える景色は地上のそれと、全然違う。虹色の魚が目の前をスイスイと通り抜けた。


恐る恐る息を吸ってみる。


あ、フツーに吸える。


地上にいるときと変わらずに呼吸ができた。

楽しいーーーーーーーー!

その日、私はまた「初めての体験」を経験したのだった。

★☆

ビデオの撮影は順調に進んだ。
今回のコンセプトは、「ミュージックビデオ風」。

Carly Rae Japsen の大ヒット曲「Call me maybe」に合わせてNinja Girlsがダイビングのライセンスを取る過程を綴った動画。

ありがたいことにこのビデオをNinja Girlsの最高傑作と言ってくれる方もいるんだ。

そのときのビデオはこちら!





★☆

最高に楽しかった2泊3日の弾丸ダイビングツアーも終わりを迎えようとしていた。
シンガポールへと帰る途中、凸凹道を猛スピードで走るバンの窓から見上げた月は、満月。


「みてみて!満月だよー!超キレイ!」

四人で、光々と、恐ろしいほどに輝く月を見上げる。


「私、きっと、いつまでも今日のこと憶えてる。皆で一緒に見た、この満月のこと‥‥」

ランちゃんがそっと、呟いた。

シンガポールで一番有名な日本人の目指し方【123】女だらけのダイビング旅

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ティオマンの夜。左からゆりちゃん、あたし、らんちゃん



私たちが向かったのは、マレーシアのティオマンっていうダイビングスポット。
シンガポールから車と船を乗り次いで5—6時間ぐらいかな?

金曜の夜の仕事終わり、早速、予約してあった10人乗り?ぐらいのバンに乗りこんだ私たち。

みんな仕事で疲れてたはずなんだけど、
4人での「初海外ダイビング旅行」ってコンセプトにテンションがあがりまくって
大はしゃぎしてしまった。
(4人っていっても、ほんとはさくらちゃんの旦那のライムも一緒だったんだけどね。)


もちろん、2社もスポンサーについてもらっているから、
きっちり仕事もしないって気持ちもあったけど、正直浮かれてしまってた。


とにかく、私たちを載せたバンは、猛スピードで道路をかけ抜けていく。



え?制限速度って何ですか?それって食べ物ですか?
と思っているに違いないバンの運転手さん。

飛ばすよー!
車揺れるよー!

あまりコンディションのよくない道路を思いっきりかっ飛ばすもんだから例え眠たかったとしても、絶対寝れなかったと思う。

そうこうしているうちに私たちはメルシンの港に到着した。


ここまでくると、興奮は収まり、逆に睡魔が襲ってくる。


ねみーよー、ここどこだよーーーと半目にながら、スピードボートに乗り換えて一時間ぐらいたった頃。

ついにティオマン島に到着した。時は午前2時。


夜中は思ったより少し肌寒かった。荷物を持って桟橋を歩く。
あたりは真っ暗でシンと静まりかえっている。どこまでも広がる真夜中の海から、
波の音だけが聞こえた。

ヘミシンクばりの癒し効果じゃね、これ?と思いながら、荷物をずるずる引きずる。

そーこーしているうちに、ヴィラに到着した。

今回はさくらちゃんは、旦那のライム(前にも言ったかもしれないけど、彼が私たちの今回のダイビングインストラクターだったんだ!)と一緒なので、私は、ランちゃんとユリちゃんと3人の相部屋。


さて、明日から早速ダイビング!!


「みなさん!明日は7時起きですよ!しっかり寝てくださいね!
さもないとダイビングで溺れますよーーーー!」

さくらちゃんの謎の脅し文句を心に刻みながら、
私は、あっという間に深い眠りにおちていった。

シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 122 【ダイビング】

一方、「One Minute Singapore」シリーズも佳境を迎えていた。
シンガポールの26個の名所をアルファベット順に一分間で紹介していくこの企画。
気がつくと、Ninja Girlsはシンガポール人でさえ訪れたことのない
かなりレアな場所までしっかり入り込み撮影する
「シンガポール人よりシンガポールを知る変な日本人」になりつつあった。

最初の頃は恥ずかしくて仕方なかったお揃いの「I Love Singapore」Tシャツも、
この頃にはすっかり板について、街中で人にジロジロ見られたってぜんぜん平気だった。

てかむしろ「Ninja Girlsよ!もっと見て!!!」って気分になり始めてたんだよね。


そんなある日、またまた朗報が飛び込んできた。
さくらちゃんが意気揚々とやって来て言ったんだ。

「みんな!ダイビングやってみたくない?あるダイビング協会が私たちの旅行のスポンサーになってくれるの。みんながダイビングのライセンス取る過程を動画にして欲しいって!どお?」


えーーーーーっ!ダイビングーーーーーーー!?

ダイビングなんて、ぜんぜん珍しいスポーツじゃないけど、
まさか自分が一生のうちにダイビングすることがあるなんて思っても見なかった。

まず、第一に私はほとんど泳げない。第二に水中で呼吸ができるなんておかしな話だ。
全く持って自然の摂理に反していると思う。第三に、超過保護で保守的な親に育てられた私は
「マリンスポーツ」なんて私には縁がない、と何故か勝手に思い込んでいたんだ。

でも、人生って不思議なもんだよね。生きてさえいれば、思いもよらなかった楽しいことが沢山起こるんだよ。Ninja Girlsのおかげで、今まで想像もしていなかったことを体験する度に「あー、生きてて本当に良かったなぁ」って心から思うんだ。ダイビングもその一つ。

このダイビングライセンス取得プロジェクトには、5本指シューズの「ビブラム」さんにもスポンサーになっていただいた。

Ninja Girls、4人のスケジュールを2泊3日分押さえるのは至難の業だった。
さくらちゃんが鼻血をだしながら調整してくれて、なんとかスケジュールの確保に成功!


私は金曜の夜、会社が終わるとすぐにマレーシア行きのバスの集合場所にに直行した。

今、思い出しても思わず顔がニヤけてしまうぐらい楽しかった、マレーシアへの旅が始まった。

シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 120 【上海!?】

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いつも元気でぷるんなゆりちゃんにだって、いろいろあったんです。。。



「あたし、上海に引っ越そうかな・・・」

ゆりちゃんがポツリといった。

「えーーーっ!?」

さくらちゃん、らんちゃん、私はビックリして目を見開く。


「ちょ、ちょっと、ど、どーゆーことっ!?」


ゆりちゃんが、シンガポールからいなくなるの??

当時WHPと呼ばれるビザでシンガポールに滞在していたゆりちゃん。WHPの有効期限は6ヶ月だから、半年経つと、働いている会社にビザサポートをしてもらってシンガポール政府に新たなビザを発行してもらわなければいけないんだ。

2011年までのシンガポールでは、このビザを発行してもらうのは比較的簡単だった。ところが2012年から急に規制が厳しくなったの。シンガポール人口の5人に1人は外国人なんだけど、彼らに雇用を奪われるローカル(シンガポール人)の不満が溜まりつつあることを懸念したシンガポール政府が方針を変えたわけ。
そういう社会的事情が原因で、ゆりちゃん は当時働いていた会社でビザを申請したんだけど、却下されてしまった。

ビザがないとシンガポールで合法的に働くことはできない。

代案として会社は「上海支店に移動しないか?」ってゆりちゃんにオファーしたわけ。

「そ、そんなー。中国だよ?シンガポールと違って危険なんだよ??」
「そーだよ、お給料だって現地の基準でしかもらえなくなるんだよ??」
「てか、ゆりちゃん中国語しゃべれないじゃん??」


私たちは、矢継ぎ早にゆりちゃんを説き伏せようとする。


「んー、でもあたし、人生のうち一度ぐらい中国で暮らしてみてもいいと思うんだよね…・」


ゆりちゃんは相変わらず「ぷるんっ」て雰囲気なんだけど、目がうつろでどこか疲れているみたいだった。


わからなくもない。
仕事以外でもゆりちゃんにとっては大変な時期だった。
シンガポールにきてたった半年でゆりちゃんは2度も引越しをした。どちらも、わけのわからん大家とのトラブルが原因だった。一件目のお家ではオーナーの男性が、ゆりちゃんが留守中に、部屋に勝手に入っていたらしい!キレたゆりちゃんはすぐに引越しをした。
ところが二件目のお家では、大家が勝手に監視カメラを設置していたことが判明!ゆりちゃんの行動を逐一観察していたというから気持ちが悪すぎる。
そんなこんなで、精神的に参っていたゆりちゃんに追い討ちをかけるようなビザ問題。

もしかしてゆりちゃんは「もう全部リセットして、どこか新しいところでやり直したい!」って気分になっていたのかもしれない。

でも私たちにしてみれば、Ninja Girlsの大事なメンバーであるゆりちゃんをそんなに簡単に手放すわけにはいかない!

必死の説得が始まった。

シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 119 【ゲイラン】

『One Minute Singapore』でシンガポール最大の歓楽街『ゲイラン』の撮影日が近づいていた。
いつものように呑気な3人を尻目に、さくらちゃんは悩んでいたらしい。

そう『ゲイラン』と言えば、夜の街。平たく言ってしまえば、『お姉ちゃんを買うところ』というイメージが強いんだ。『ゲイラン』を撮影するからにはそのイメージを完全に無視するわけにはいかないけど、下品な動画にはしたくない。それがさくらちゃんの悩みの種だったみたい。

でもいざ撮影を始めてみると、そんな心配は無用だったてことがわかった。
ビデオ撮影中に街角のドリアン屋のおじさんや、人懐っこく絡んできてくれる。


『君達日本人かい?』


ジブリの映画にでてきそうなひげモジャの、いかにも『下町のおじさん』がニコニコしながらゆりちゃんにドリアンを差し出す。


『ほれ、このドリアン持ってみなよ!』


おじさんにいわれて、おそるおそる手をさしだすゆりちゃんの困り顔がものすごく可愛い。

ゲイランは『美味しい食べ物の街』でもある。中でも『カエル粥』は有名。道路沿いにある店に大きな水槽があって、その中には大量の生きた食用ガエルが!!なんて光景もゲイランでは珍しくない。
そんな『食べ物天国としてのゲイラン』を動画の中でしっかり紹介できたと思うんだ。


もちろん『歓楽街』としてのゲイランもギリギリのラインで動画に盛り込んだよ。アダルトショップに興奮するさくらちゃんと私の迷演技は、多くの方にご好評いただけたみたい。

結局この動画は、再生回数25000回を超えるNinja Girls最大のヒット作品になった。



私たちはOne Minute Singaporeシリーズの撮影で、シンガポールという街を違った角度から見ることができた。そして毎回それぞれの町の新たな魅力を発見していった。
そして撮影が進む度に、私たちの『シンガポール愛』が深まっていったんだ。


Ninja Girlsプロジェクトは私にとって、本当に生活の中心だった。もちろん会社には毎日いっていたけど、心は常にNinja Girlsのことを考えている、って状態だった。

日本をえいやっ飛び出して、シンガポール来てからもう一年以上が経っていた。憧れだった海外生活、安定した仕事、親友以上の絆で結ばれた仲間達、Ninja Girlsという日々大きくなる夢、私はたった一年ですべてを手に入れた。

日本にいる頃には想像も出来なかった世界を、この目でたくさん見た。
幸せだった。
幸せなはずだった。
でもね、人間って本当に愚かな生き物だよね。幸せになると、今度はその幸せを失うのが怖くなってしまうんだ。


だって、欲しかったものが手に入って、それがどうだっていうんだろう?
それをただギュッと握り締めて生きていくの?いつかそれが掌からこぼれおちてしまう恐怖と戦いながら?


私は、そんな恐怖に耐えれるほど強い人間じゃない。
手に入った幸せを握り締めすぎて壊してしまわないために、人は前進しつづけるのだろう。
心の声がいつもささやいていた。「これでいいと思うな。立ち止まるな。」


このとき私は予感していたのかもしれない。Ninja Girlsにまたまた大きな激震が走る事件が起こることを。

シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 118 【脱却】

週中は会社で働き、夜と週末はNinja Girlsの活動。
あの頃の私は、とても充実していた。
一日が、一週間が、一ヶ月があっという間に過ぎていく。


それは、もう本当に「あっ」という間で、
「この調子だと、私ホントにあっとゆーまにお婆ちゃんになって死んでしまうんだろうなー。」
ってボンヤリ考えてしまうほど、時間の流れが速い。


エディと別れて、かれこれ半年が経とうとしていた。


私は相変わらず、恋愛デトックス中だった。


(恋愛デトックスとは、『男断ち』のこと。ある一定期間彼氏をつくらないことで、自身の精神的、経済的自立を促し、より魅力的な女性になることを目指す活動の一環。)


もともと、恋愛デトックス期間は『3ヶ月』の予定のはずだったんだよね。


18歳で実家を出て以来男が途切れたことがない、典型的な『恋愛依存症』だった私。
その悪癖をなんとか断ち切ろうと、ついに恋愛デトックスを始めたの。


たった『3ヶ月』でも、私は不安で不安で仕方がなかった。恋愛依存症の人にとって、「男」というのは、「水」みたいなもの。水を3ヶ月飲まなかったら、人間は間違いなく死んでしまう。恋愛依存症の人は男が3ヶ月もいない生活なんて、本当に耐えられないものなんだ。


今振り返ると、あそこでなんとか「恋愛デトックス」に踏み切れた私は本当にラッキーだったと思う。


さくらちゃんは、いつもこう言っていた。
「恋愛依存症の女に、いい男が寄ってくるわけ無い。」
ぐうの音もでない正論だよね。

何より、Ninja Girlsの活動に打ち込むことが、私の「恋愛デトックス」を成功に導いてくれたんだ。

めでたく3ヶ月のデトックスが終わったあとも、私に彼氏ができる気配はない。4ヶ月が経ち、5ヶ月が経っても、彼氏どころか男の人とデートさえしなかった。Ninja Girlsという幸せな女の園にどっぷり浸かっていた私は、男なしの生活が心地良くなり始めていた。


本当に信じられなかった。


「男なし」でも、私は幸せに暮らしていけるんだ!そんな当たり前なことが、今更ながら腹にストン、と落ちる。まさに目からウロコ。


そんなわたしにもデトックス6ヶ月を過ぎたころ、ようやく浮いた話ができた。


そ、それは、な、なんと!


5歳も年下のシンガポール人男子とのプラトニックラブ!!!!


んーーーーー甘酸っぱいっ!!!!!


半年間、男っ気ゼロだった私は完全に舞い上がってしまい、道を歩くときも何か食べている時もニヤニヤして、Ninja Girlsのメンバーを完全にドン引きさせてたんだけど、なんとその恋、たったの2週間でジ、エンド!に!手もつないでないぞ、ヲイ!!


とにもかくにも、私はついに長年の恋愛依存症から脱却したのだった。

シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 117 【生きてる実感】

日本にいた頃、冴えない青い作業服を着て働いていた私。
私が勤務していた工場の向かいには中学校があった。
運動場では元気一杯の中学生が部活に汗を流している。
野球部員がボール拾いをしている隣では、テニス部の女子がランニングをしていた。

『いいなぁ、楽しそうで…』

私はよく、窓からその景色を眺めながらボーっとそんなことを考えていた。

アラサー、独身、派遣社員。当時私は将来に夢も希望も持てなかった。

生きてる実感が湧かなかった。

まだ10代前半の、一見希望に満ち溢れているように見える中学生たち。
彼らを見ていると、自分が本当に惨めに思えて胸が締め付けられた。

その数ヶ月後、一念発起した私はシンガポールに渡った。
どうしても、どうしても自分を諦めきれなくて、こんな私でもやり直せるんじゃないかという一筋の希望を持って。

シンガポールでさくらちゃんに出会った私は、その数ヵ月後に彼女と一緒にNinja Girlsを始めた。

そう「シンガポールで一番有名な日本人にならない?」っていうさくらちゃんの一言からすべては始まったんだ。

私達がNinja Girlsでやってきたのは、ゼロからイチを創り出すということ。
その楽しさは、今まで私が経験したことの無いものだった。


思うような結果が出なかったり、死ぬほどきつい撮影があっても、それでも楽しかった。Ninja Girlsのために日本にいる親と絶縁騒ぎになっても、それでも私はNinja Girlsをやめなかった。


どうしてかって?それはね、

Ninja Girlsが私に、生まれて始めて『生きてる実感』を与えてくれたものだったから。

私が、ずーーーーと欲しくて欲しくて、でもどうしたら手に入れることができるのかわからなかったこの感覚を、Ninja Girlsは私にくれたんだ。

だから、Ninja Girlsっていう素敵な乗り物が連れて行ってくれる未知の世界を私はどうしても見たかった。そしてこれからも見続けていきたいんだ。

例えその未知の世界が、どんなものであったとしても、ね。