シンガポールで1番有名な日本人の目指し方 116 【さくらちゃんの想い】
そのスポンサー事件があって、私はさくらちゃんのNinja Girlsに対する並々ならぬ思いを感じた。
さくらちゃんの真剣さは単なる趣味の範囲を超えていた。
週3回の動画撮影、編集、ブログの管理をするのは、本当に本当に簡単なことじゃない。
でも、彼女はそれをやってのけている。
ある日、いつもの場所でコーヒーを飲みながらさくらちゃんが語りだした。
「私はね、ここに来てから、シンガポールで何かを始めたいってずっと思ってきた。」
そう、3年前、さくらちゃんはマカオからシンガポールにやってきた。
北海道で出会ったシンガポール人の旦那さんと一緒にね。
「でもね…」
さくらちゃんは続ける。
「いきなりシンガポールにきて、その土地のこともわからないまま何かを始めても誰も私のことを応援してくれないだろう、って思ったの。だから私はこの数年、シンガポールについて色々調べたの。シンガポールとシンガポールの人たちについてもっともっと知りたい、そう思っていろんな場所に出掛けて、生の情報を知ろうとしていた。」
そうだったんだ…
私は心の中で呟いた。
「だから、Ninja Girlsを始めたのは、その時がきたって思ったからなの。シンガポールに仁義を切るつもりで私はこれを始めたの。そして、このプロジェクトは沢山の方たちに応援してもらって、どんどん大きくなりはじめている。」
ねぇ?シンガポールで一番有名な日本人になってみない?なんて軽い口説き文句で誘われたけど、そのウラにはこんなに熱い想いがあったんだね。
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当時、フリーランサーのさくらちゃん以外の3人は会社で働いていた。みんなの予定を合わせて撮影のスケジュールを組むのもそれはそれは大変だった。
でもね、リーダーであるさくらちゃんのNinja Girlsへの取り組み方を、みんな見ていたから誰一人文句を言わなかった。Ninja Girlsのみんなはホントに根性がある子たちばっかりだと思う。(おそらくNinja Girls内で一番ヘタれなのは私です。)いつも言ってるけど、本当にこのメンバーだったからきつい撮影でも乗り越えられたと思うんだ。
私の生活は、仕事とNinja Girlsで一週間の予定がほぼ埋まってしまうぐらいになっていた。
あの頃、撮影が終わって一人で家に帰る途中、私はよく鼻歌を歌っていた。Ninja Girlsをしていたら大変なこともたくさんある。
でも、私はNinja Girlsに対して頭が上がらないんだ。だって、Ninja Girlsのお陰で私はどうしても欲しかったものを手に入れたんだから…