日系ブロガーのススメ。

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シンガポールで一番有名な日本人の目指しかた 1 【派遣生活の果てに 1】

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「もう死んでしまいたい」

ふとそう思った。
27歳まで、あと3ヶ月の頃だった。



23歳だった私がこの会社に入ってから、早くも3年が経っていた。
もう今年27歳になる。
本格的にアラサーと呼ばれる年齢だ。

毎日同じ時間に起きて、歩いて10分もかからない会社に通っていた。
住んでいるのは、バストイレが一緒になった、
いわゆるユニットバスの狭いワンルームマンション。
田舎だということもあって、なんと家賃3万の格安アパートだった。

本当のことを言うともう少し、
お洒落で広いマンションに住みたかった。
でもいわゆる派遣社員として就職した私には、
少しでも出費を抑えなければならない理由があった。

なぜなら、私の給与は、時給制だったから。
普通に働いて、手取りは15~16万。
休日が多い月は10万を切ることもあった。
もちろん昇給もボーナスも無かった。

仕事はなんの変わり映えもしない、ルーティンワーク。
休日に飲みに行こうとしても、
いわゆる繁華街までバスで一時間もかかる。

半年以上服も買わなければ美容院にも行かない、
そんな生活が当たり前になっていった。
大学時代はオシャレが大好きだった私なのに。

とは言え、私をそんな風に変えてしまったのは、
経済的理由だけではなった。



私が勤めていた会社は製造メーカー。
就業時間帯は全職員が作業着を制服として着る規則になっていた。

その制服とは、真っ青な作業着と作業帽だ。

初出勤日にこれらを手渡された時には、悪い夢でも見ているのかと思った。
そのダサさはまさに神レベル。
どうあがいても、逆立ちしても、
オシャレに着こなすことなど到底不可能なダサい制服であった。

たかが制服、されど制服である。

かの有名なデザイナー、イブ・サン・ローランが、
『服装は生き方である(Dressing is a way of life)』
と言ったように、
身に着ける服はそれを着る人のパーソナリティを形作る。

そして私もまた、その素晴らしくダサい制服に見事なまでに形作られていった。
3年間その制服を着続けた私は、本物のダサい女になった。